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長距離走
長距離走(ちょうきょりそう)とは、陸上競技のうち長距離を走る競技の総称。
絶対的なスピードや瞬発力などよりも持久力、戦略などが要求される。 中距離や短距離などに比べると比較的レース展開は穏やかであり、精神面が大きく影響するのが特徴。 いかに他人よりも楽に走り、勝負どころを掴み、自分のペースで走れるかという走るための技術力も高くなければならない。
長距離走の種類
5000メートル競走
10000メートル競走
クォーターマラソン
ハーフマラソン
フルマラソン
ウルトラマラソン
駅伝競走
持久走
持久走は70%ぐらいの力で5〜30分間走ることである。 学校現場では全力で走り競争を伴う長距離走と混同されていることが多い。 長い距離を走ることは文科省の学習指導要領(小学校)では長距離走ではなく持久走として扱うこととしている。
日本の小・中・高等学校ではしばしば持久走大会(もしくはマラソン大会)が行われる。 冬に「耐寒訓練」として行われることが多く、大会の前には休憩時間や放課後に練習を行ったり、体育の授業でも持久走を行い、タイムを計測する。 また、学校によっては運動会(体育祭)で行うところもある。
距離は小学校の場合400メートルから1.5キロメートル程度で、学年に応じて距離が長くなる。 中学・高校では学年や性別によって異なるが、2キロメートルから10キロメートルぐらいが一般的である。 また持久走大会ではなく強歩大会が行なわれている学校もある。

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5000メートル競走
5000メートル競走は、5000メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、長距離走に分類される。 競技会や関係者の間では5000m(5000メートル)や5000と略される場合がほとんどである。
競技場のトラックを12周と200m走る。 よってスタート位置は3000メートル競走と同様のバックストレートの出口となる。 長距離種目ではあるが持久力だけでなくレース終盤のスピードや戦略も要求される。
なお比較的距離の長い種目なので全国未満の大会では予選・決勝とラウンドを分けずに複数の組をタイムで比較して順位付けされる場合(タイムレース)が多い。 1組あたりの出場人数が多い場合はスタート時の混雑を避けるため、コースを4レーンより内側と5レーンより外側に分けて全体の約3分の1を外側前寄りからスタートさせてコーナーの出口で合流させる二段階スタートという方法が取られる。 ちなみに陸上競技においては5000mと5kmは別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、年間ランキングなどでも別々に集計される。
現在の競技状況
現在、世界的にはエチオピアやケニアを筆頭にアフリカ勢が男女とも強く、欧州勢がそれを追う展開で、女子では(ドーピングの疑惑がありながらも)中国勢も上位入賞ができる力量をもっている。 日本選手はオリンピックや世界選手権では男女とも8位入賞できれば上出来といったところのレベルであるが、1936年ベルリンオリンピックの村社講平と1996年アトランタオリンピックの志水見千子が4位、1997年世界陸上選手権の弘山晴美が8位で、過去3回入賞している。

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シレシ・シヒネ
シレシ・シヒネ(Sileshi Sihine, 1983年1月29日 - )は、エチオピアの陸上競技選手である。 シヒネはハイレ・ゲブレセラシェに影響され陸上をはじめ、ジュニアの頃から早くも頭角を現していた。 2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックの男子10000 m銀メダリストである。
実績
現在までケネニサ・ベケレの陰に隠れて長距離界では目立たないが、実力は世界トップクラスで、常に世界大会では銀メダルを獲ってきた。 現在ケネニサ・ベケレと共にエチオピア及び世界の長距離界をリードするランナーである。
サイフ・サイード・シャヒーン
サイフ・サイード・シャヒーン(??? ???? ?????, Saif Saaeed Shaheen、1982年10月15日 - )は、カタールの陸上競技選手である。 現在はカタール国籍であるが、以前はケニア国籍であり、名前もステファン・チェロノ(Stephen Cherono)という名であった。 IOCのルールでは国籍を変更した後3年間は国際大会にその国から出場できないとあり、したがってシャヒーンは2004年のアテネオリンピックに出場できなかった。
シャヒーンが2004年にベルギーのブリュッセルにおいて記録した、3,000m障害で7分53秒63という記録は現在の世界記録である。

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ティルネシュ・ディババ
ティルネシュ・ディババ(Tirunesh Dibaba、1985年10月1日 - )は、エチオピアの陸上競技選手である。 5000mの世界記録保持者。 ディババは、オリンピックで2個の金メダルを獲得しているデラルツ・ツルのいとこであり、姉のエジェガエフ・ディババもアテネオリンピックの10000mの銀メダリストである。 ティルの愛称で親しまれている。
ディババは、14歳で陸上をはじめ、15歳のときに出場した2001年の世界クロスカントリーのジュニアで5位に入っている。
2003年に14分39秒94、2004年に14分30秒88のジュニア世界記録をマーク。
2003年の世界陸上5000mでは、スプリント勝負でスペインのマルタ・ドミンゲスとケニアのエディス・マサイに競り勝ち金メダルを獲得。 大会史上最年少(18歳90日)での個人種目金メダリストとなった。
2004年のアテネオリンピック5000mでは、同じエチオピアのメセレト・デファーとケニアのイザベラ・オチチに敗れたものの銅メダルを獲得。 19歳でのメダル獲得はエチオピアの選手としては最年少であった。
2005年の世界クロスカントリー選手権にて、女子では1998年のソニア・オサリバン(アイルランド)以来となるシニアロング・ショートの2冠を達成。 同年、5kmロードで、ポーラ・ラドクリフ(イギリス)が持っていた世界最高記録に並ぶ14分51秒をマーク。
その2005年の世界陸上5000mでは、猛烈な末足で同じエチオピアのベルハネ・アデレと姉のエジェガエフを下している。 また10000mでも金メダルを獲得。 世界陸上での5000m、10000mの両方で優勝した選手は男女を通じて彼女が初めてである。
2007年アメリカボストンで開かれたリーボック・ボストン室内5000mで、自身が樹立した記録を5秒以上短縮する14分27秒42の室内世界新で優勝。
2007年の世界陸上10000mは、腹痛を伴いさらに靴が脱げた選手に巻き込またことも原因で一時は集団から1人大きく引き離された。 しかし終盤に集団に追いつき、最終的にはラスト1周のスパートで2連覇を果たした。 驚異的なラストスパートもさることながら、勝負を諦めない粘り強さも光るレースであった。 一方で上記の腹痛が原因で5000mは欠場し、3連覇ならびに2大会連続の長距離種目2冠はならなかった。
2008年6月6日、オスロGL5000mで14分11秒15の世界記録を達成した。
ディババの走りの特徴は、ファイナルラップまで先頭に出ないことと、ラストの400mのスプリントの強さがあげられる。 2005年世界陸上の10000mのラスト400mは58.33秒という猛烈なものであった。
2008年の北京オリンピックの10000mでは速いラップでトルコのエルヴァン・アベイレゲッセとレースを引っ張り、終盤はこの二人の一騎打ちとなったが、ラスト一周のスパートでアベイレゲッセを振り切り、王軍霞以来2人目となる29分台のオリンピック新記録(29分54秒66)で金メダルに輝いた。 世界記録を持つ5000mも15分41秒40で制し、長距離種目の2冠を獲得した。

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10000メートル競走
10000メートル競走は、10000メートルを走るタイムを競う陸上競技のトラック種目で、長距離走に分類される。 競技会や関係者の間では10000m(10000メートル)や10000と略される場合がほとんどである。 400mトラックを25周する。 持久力だけではなくスピードも要求され、日本国内では、男女マラソンに次ぐ注目を集める長距離種目である。
距離の長い種目なので予選・決勝とラウンドを分けずに1つラウンドで決着がつけられるがほとんどである。 その場合参加選手が多い時は複数の組をタイムで比較して順位付けされ(タイムレース)、参加選手がおおむね50名未満の場合は出場選手全員を一斉にスタートさせること(一発決勝)が多い。 1組あたりの出場人数が多い場合はスタート時の混雑を避けるため、コースを4レーンより内側と5レーンより外側に分けて全体の約3分の1を外側前寄りからスタートさせてコーナーの出口で合流させる二段階スタートという方法が取られる。 ちなみに陸上競技においては10000mと10kmは別物(前者はトラックレース、後者はロードレース)であり、年間ランキングなどでも別々に集計される。
現在の競技状況
世界的には男子はエチオピアやケニアといったアフリカ勢の独擅場で、近年はアフリカからの帰化選手の活躍も目覚ましい。 女子はアフリカ勢と欧州勢や中国が上位を争っており、日本がそれに続く勢力と考えられている。 この種目でかつてのように日本選手の活躍が多くないのは、日本の長距離界が駅伝などのロードレースに傾倒しすぎであるからとも言われている。
ポール・テルガト
ポール・テルガト(Paul Kibii Tergat、1969年6月17日 - )は、ケニアのバリンゴ出身の長距離走、およびマラソン選手。
様々な記録を持つテルガトは、ケニア長距離界の父と呼ばれることもある。 2003年9月28日のベルリンマラソンで2時間4分55秒の世界最高記録(当時)、1998年にはミラノのハーフマラソンで世界最高(当時)の59分17秒を記録している。
エチオピア出身のハイレ・ゲブレセラシェの後塵を拝すことが多く、1996年のアトランタと2000年のシドニーの2つのオリンピックで連続して10000mで銀メダルに終わっている。 2002年のロンドンマラソンでは、当時世界最高記録保持者であったハーリド・ハヌーシに次いでテルガトが2位に入り、ゲブレセラシェは3位であった。
2004年のアテネオリンピックを前に、テルガトは代表としての引退を表明したが、個人として競技に参加し続けると発表した。 オリンピックではマラソンで10位に終わった。
2008年4月21日、調整不足と若手へチャンスを与えることを理由に、北京オリンピックには出場しないことを表明した。
WFPでの活動
2004年1月、テルガトは国際連合世界食糧計画 (WFP) の飢餓撲滅大使に選ばれた。 小学校時代、テルガトの家庭は貧しいこともあり、朝食を満足に食べることなく、小学校まで毎日約5kmの道のりを走って通っていた。 8歳の時に、学校が国連世界食糧計画の学校給食プログラムの支援対象になり、空腹に苦しむことなく教育を受けることが可能になったのである。 2006年度の公共広告機構(現:ACジャパン)のCMに登場している。
どのような援助が好ましいのか
逆援助に関して考えてみよう。
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